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2010年12月

2010年12月25日 (土)

父のことで今更ながらお知らせ

書くか書かかまいかすごく悩んだのですが
多くの方に心配していただいていたので書くことを決心しました


去る12月6日20時23分父が逝去しました


あれは8月の猛暑が続いた日
父「夏ばてか知らんけどなんかしんどいねん」
この言葉が始まりでした


近所の病院に行くと
ヤブ「血圧が少し高めやし高血圧やなぁ~クスリ出しとくわ」
しかし、長年連れ添ってきた母には異常に思えたのでしょう
母「そんなんおかしい!そんなクスリ呑んだらあかん!大きい病院行くで!」


すぐさまMRI等予約し


結果・・・・




肺がん
進行度はIV期
父がしんどがっていた理由は肺に水がたまり心臓を圧迫していたからだそうで
さっそく水を抜く手術をし、家族には医師から説明を受けました


肺がんは自覚症状がなく、気づいた頃にはほとんどの場合IV期ほどまで進行しており一般的な余命平均で半年とのこと

今は治療を隠して行うことはできないのでがんであることを告知しなければいけない
抗がん剤治療は、抗がん剤で症状が軽減することもあれば死ぬこともある
などなど色々な説明を受けました

とりあえず今すぐには父にがんであることを告げず(入院してすぐのため)、安定しているときに母の口から告げると決めました


医師からの説明を受けたあとは父に涙の跡等悟られぬよう少し廊下で心を落ち着かせてから病室に戻り
「えらい大変やったな~。肺に水がたまっててんて?しかしよう入院するなぁ?」
などと軽口をたたきながらも父に今の状況を悟られまいと必死でした


それから父に告知し
父から「抗がん剤治療を受けたい」との申し出もあり長く苦しい抗がん剤治療が始まりました


一度目の抗がん剤投与
最初のためか大きな副作用もなく病室でも元気にしていました


そしてレントゲンをとって見ると腫瘍が小さくなり
抗がん剤が効いている!


父は泣きながら喜びました



しかし・・・・


その後行われたPET検査で脊椎への転移を確認
背骨ががんに侵され真っ黒になっていました


せっかっく抗がん剤が効いた!
生きる希望が見出せた!
これは言わないでおこう


そして2度目の抗がん剤投与
ありありとあらわれる副作用

ふさふさの毛が髪を掻き揚げると抜けていき
食欲は減衰
手足のしびれ

突然杖なしでは歩けなくなり
白血球等の数値もあがらず


3度目の投与

そして4度目
父「4回抗がん剤打ったのにしんどい・・・がんはもう治ったんちゃうんか?」
自分の体のことだから本当はわかっていたんでしょうが、治ったと思いたかったのかよくこの言葉を口にしていました


父「お前に色々教えておかなあかんことがある」
と言いいろんな地元の役の話も教えてくれました

まだ他人のことを気遣えるなら大丈夫!


でも母は、「最近甘えるようになってきて、昔は一緒に寝ててもうるさい!とか言ってた人やのに。人は死ぬ前に幼児がえりするとか言うし」
不吉なこと言うなや!なんて言ってましたが

その後また入院し、低ナトリウム症で意識障害が・・・

しかしなんとか退院し



12月3日
父「しんどいから救急車呼んでくれ」


12月4日
医師より家族全員を呼んでの説明
2011年を目指してがんばりましょうと話をしました


12月6日
母より「お父さんの血圧が急に下がりだしてん!すぐ病院へ来て!」
病院へ駆けつけると酸素マスクをしてモルヒネ(のようなもの)を投与され意識朦朧の父が
とりあえず病院に泊まる準備をし一晩付き合うつもりでした
今晩が山かも知れんな・・・


私には兄がいて東京に住んでいるのですが
母「Mは何回も戻ってきてもらうのも悪いし呼ばんでいいな?」
「いや!呼んだれ!もし万が一があったら一生恨まれんぞ!」

しかし東京から大阪
電波はすぐにでも届くけれど
急いでむかっても20時半


その間にも容態が悪化する父
嫁に白いシーツや枕カバーを買いに行かせ病室にも来てもらいました


まだぼんやりとだけれど、明日は迎えられると思っていましたが
白いハンカチが売ってなかったと言うので病院の前のコンビニに買いにっていると母から電話が
「血圧が60まで下がってん!早く帰ってきて!」


それからはみるみると血圧が下がっていき
みんなで必死になって声をかけました!

Mが来てくれるねんで!来るまでがんばりや!
その声に反応するかのようにゆっくりと一呼吸


それを何度か繰り返し

兄を待とうと最後の気力を振り絞った父でしたが
体のほうがついていかなかったようです・・・



死亡の理由は抗がん剤投与により心臓の周りに壁ができ心臓を動かす力が弱くなっていたことでした・・・



本当に抗がん剤治療を受けてよかったのだろうか?
未だに悩みますが
本人はそれにかけていた
最後は苦しまずに家族に見守られて逝けた

それでよかったのかもわかりませんが



生前は友達が少ない、変わり者、頑固等言われていた父ですが
葬儀には本当に多くの方に参列していただき
母に「ほら!友達少ないとか言ってたけどいっぱいいてるやん!泣いてくれる人もおるし!」なんて話をしていました


人には努力するところをみせたくない人でした
勉強が好きで、モルヒネ等悟られないようにしててもすぐ気づくぐらいがんのことも勉強していて
発明品もあります
でもお金には執着がなく発明品も特許などはとらず
人のためになるならと身を捧げるような人でした
ですから多くの人が心から泣いてくれました



昔はよく喧嘩もしたけれど
社会人になってからは仲良く
定年してからは地元のためにとがんばり
私も定年してからが輝くときやな!第二の人生満喫せなな!などと喜んでいました



最後まで人に迷惑をかけまいと
家族を思いやっていました

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2010年12月 1日 (水)

清里で久々の再開を分かち合う

さてさて清里へ

Kid1377

お昼の時間帯には到着する気満々だったキッドさんでしたが
石川から結構時間かかるやんけぇ~的な何かで結構遅くに到着


この日はレイの同胎や親戚犬がコーシングに参加するとのことで応援にかけつけたのでした




久々の再開を楽しみつつコーシング見学

Kid1227
親戚犬ディブ

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同胎犬エピカリスちゃん

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ぜんぜんルアー見てないテケテケ走りw

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同胎クレアちゃん

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はじめてなのに最初こそとまどったもののしっかりルアー見て走ってたね~♪クレアちゃんえろいえらい!

Kid1360
親戚犬デュカリオンくん

Kid1368

デュカリオン君は関東では有名?なコーシングチャンピオン



さすがに早い早い♪
スタッフの方にもデュークは激しいから進行方向で写真を構えてると突撃されますよ!なんていわれるくらい激しいの(ハート


コーシング走行順が来るまでにすでにもう走りたくて走りたくて仕方ない感じですごかったぁ~
レイもデュークくんと同じ血を持ってるからそうなってくれたら良いなぁ~


そんなこんなで

Kid1381

同胎、親戚犬で集合写真撮ったり


関西で行われるコーシングに向けてレイを見学させたり

そんなこんなでコーシングは終わり会場にあったドッグランでランランラン♪

Kid1386

Kid1388

このランさほど大きくはなかったけど地面が雑草だらけでフカフカ
犬たちにはちょうど良い走りやすさ♪

Kid1454
久々のアド君との再会に喜ぶレイちゃん

Kid1471
アド君は最初にキッドさんが飼いたいと思っていた子

Kid1546

お顔がすご~くかわゆいのです
でもブリーダさん宅でわんぱく坊主のレイちゃんにしちゃったんだけれど
アド君同胎の中でも特に大きくて久々に見たら
【この子だれ?】なんて思っちゃったのは内緒なんだぜ!

Kid1561
デューク君は怖がりなんだそうな

ん~レイちゃんに狩られてるもんね~
なんかモネ君に通じるものがあってデュークがんばれ~!って心の中で応援しちゃった

Kid1529
クレアちゃん

Kid1563
エピちゃん(奥)、クレアちゃん、アド君、同胎犬の集まりに出遅れたレイ(´;ω;`)


そんな感じで久々の同胎犬との再会を楽しみ
これから長い道のりを帰らねばならんのかぁ~なんてちょっぴりホロリとしていたところ
クレアパパさんから【うちに寄ってかない?】なんて声をかけていただいて
厚顔無恥のキッドさんはもちろん二つ返事であがらしてもらいましたよっと

Kid1566

いやぁ~ごはんおかわりまでいただいちゃってクレア家のみなさんには本当にお世話になりありがとうございました

しかしみんなとの会話も楽しかったなぁ~

まぁキッドさんが40歳くらいだと思われてたことにはショックを受けたけれども

また同胎犬同士楽しく集まりましょう!




てな感じで突然の石川→清里→山梨への旅でした
2日間の旅行でお世話になった方々改めてありがとうございました

いつも応援ありがとうございました。
これからも応援よろしくお願いしました。
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